オーストラリアに行くきっかけになったこと

私は、今、健康と幸せをもたらす「オーストラリアンワイルドフラワーエッセンス」の会社(ジャナーク・ジャパン)を経営し普及活動をしています。 このストーリーを執筆するにあたり人生を顧みた時に、生まれた時からすでに「医療」や「癒し」の道をたどってきたのだなと思いました。

私は日本三大パワースポット分杭峠の近くで生まれ育ちました。日本でも有数のパワースポットのひとつで、自然に囲まれ、「ゼロ磁場」などと呼ばれており多くの人が癒しに訪れるところです。

私が小さいころは、祖母がシャーマンのような人だったので、病気や怪我をすると植物を使ったり、まじないのようなことで癒してくれたりしていました。植物や自然は私にとってとても身近な存在だったと思います。

さて、私は大人になり、製薬会社に勤め始めました。会社に12年間勤めた後、薬販売の資格を得て、薬局の経営を始めました。
そのころは大型ドラッグストアなどがなかった頃で、薬や漢方だけでなく生活雑貨なども販売するお店というのはとても珍しく、日々本当に飛ぶように売れたものです。2店舗目も開店し、妻にお店を任せました。

仕事がうまくいく、商売が繁盛するというのはとてもいいことなのですが、何しろお客様が絶えない店でしたので、仕事量も多く、本当に激務の毎日になりました。

それを10年程続けた頃には、妻も私も身体がぼろぼろになってしまっていました。

私は痔と腰痛、坐骨神経痛に、妻は膝の痛みとパニック症状に悩まされました。
私の痔はひどいもので、お店が終わる1時間前には立っていて出血が続きパットを当てながら仕事をしているような最悪の状況でした。坐骨神経痛もひどく、立っていられないほどのつらさでした。

漢方も西洋の薬も服用しましたし、痔の手術は2回も受けましたが、改善しませんでした。身体の痛みも症状もひどいこともさることながら、いつも頭の中は数字でいっぱいで休む暇がなく、本当に心も身体も悲鳴を上げ続けていたのです。

これは何をやってもダメでだし、誰も助けてくれない、私も妻も命が長くないかもしれないと危機感を募らせました。

そして、肚をくくり、お店も家も売り、すべてを終わらせ、転地療法をするしかない、と思った時に、オーストラリアに留学していた娘からオーストラリア行きの誘いを受けました。

オーストラリアの永住権を取る機会にも恵まれ、見事にすべての環境が整って、オーストラリアのパースに永住を決めることになったのです。

ワイルドフラワーエッセンスとの出会い

さて、オーストラリアのパースに住み始め、毎日が快適なリラックスした日々になりました。

ホビー牧場を持ち、家族そろって乗馬を楽しんだり、ゴルフ、釣り、観光、野菜作りなど、日本にいる時には出来なかったあらゆる楽しみを堪能しました。
広大な自然の中で、仕事のプレッシャーもなく、ゆったりと過ごすのは本当に楽園にいるような心地でした。

あんなにつらかった身体の状態も徐々に良くなり、新しい生活を選んで本当によかったなと思える日々でした。

ところが、5年ほどたつ頃に、妻にも私にも大変な状況が襲ってきたのです。

治ってきたと思っていた身体の状態がまたぶり返したのです。妻は膝がパンパンに腫れ上がって歩くことすらできなくなりました。
私の痔も再発し、オーストラリアで手術も受けました。腰痛も坐骨神経痛も日本の頃以上のひどい状態になりました。

そんな時に、娘がパースのドラッグストアでオーストラリアン ワイルド フラワーエッセンスのクリームを見つけてきました。関節用クリームと痛み用クリームです。

妻が膝にクリームを使っていたら、劇的に膝が改善したのです。

これはすごい、このクリームを開発した人に会いたいと思い、オーストラリアン ワイルド フラワーエッセンスの創始者バスデバ・バルナオ博士を訪ねました。

ワイルドフラワーエッセンスで完全治癒

私はバルナオ博士のセッションの中で、ダンピエラというお花のエッセンスが合うことを知りました。

実際にダンピエラエッセンスを頭の上に置く「百会診断」というのを受けた時に、エッセンスの力を体感したり、外に咲いているダンピエラのそばで心の問題を思いながら手をかざしていたら、問題が消えるという不思議な体験をしました。

ダンピエラのメッセージを見てみると、「あるがまま、凝り固まった状態を流れるようにする」でした。

ネガティブキーワードを見てみると「厳格、抑圧、重苦しい、堅苦しい」とありました。これは私の性格そのものでしたから、本当にダンピエラが私に合うのだというのがよく分かりました。

さて、その後、ダンピエラを飲み、アクティブクリームを腰や足に塗り続けていくうちに、心も身体も変わっていきました。

痔も腰痛も坐骨神経痛も完治、です。性格もダンピエラのポジティブキーワードの通り「柔軟、オープン、協力、解き放つ」という風に変わっていったのです。

妻の場合は、イエローフラッグを処方されました。

花からのメッセージは、「辛い環境下でも陽気でのんき」、ネガティブキーワードは「ストレス、陰鬱、むっつり、緊張しきった、覚悟が出来ていない」。

確かにメッセージは妻にとって必要だし、ネガティブキーワードのような性格を持っていました。

妻はイエローフラッグを飲むうちに、ポジティブキーワードの「陽気、のんき、気楽、愉快、バランスのとれた、強い」といった性格に変わり、パニック症状が消えました。

二人の気持ちや性格が変化して、体調が良くなっていくうちに、私たち夫婦の関係も大きく変わりました。
それまでお互いに相手を責めてイライラすることがありました。妻は私に文句を言い、私は妻に無言のプレッシャーを与えるという険悪な関係が長年続いていました。お互いそんな関係に疲れ切っていました。

ところが、フラワーエッセンスを使い始めて、相手だけが悪いのではない、自分にも悪いところがあったのだという気付きが生まれ、お互いを思いやる関係になっていったのです。

これは本当に神様からの最高の贈り物だったと感謝の気持ちでいっぱいでした。

そして、このような劇的な体験から、今度は日本に戻り、この素晴らしい自然の力を伝えたいと思うようになりました。

最後の人生を、生まれ変わって新しい人生を始めるように、日本でオーストラリアン ワイルド フラワーエッセンスをスタートすることになったのです。

ワイルドフラワーエッセンスから学んだこと

私のオーストラリアン ワイルド フラワーエッセンスのストーリー、これほどまでに劇的に私や妻を救ったオーストラリアン ワイルド フラワーエッセンスに夢中になることもわかっていただけると思います。

私の息子は医者です。フランスで医学の専門分野を更に深め、現在クリニックを開設しています。私自身の人生そのものが医療であり、西洋医学を熟知し、その素晴らしさを分かっています。

その私がこのようなオーストラリアでの体験から確信したのです。

西洋医学だけでは人の身体も心も癒すことはできません。

人は心と魂と身体を持つ存在だから、全部が癒されないと問題は解決しません。根本原因を解決しないとまた問題を繰り返します。

オーストラリアン ワイルド フラワーエッセンスは、身体の問題を消し、心を癒し、性格を変えることができます。

そして、人は、人生を感謝と喜びに満ちて、人との思いやりある関係を持って豊かに生きることができます。

アボリジニの人々に、バルナオ博士夫妻に、家族に、私に大きな贈り物を授けてくれたすべてに感謝をして、私はワイルドフラワーエッセンスを皆さんにしっかりとお伝えしたいと思います。

1人でも多くの人が幸せに健やかに暮らせることを心から願って、オーストラリアン ワイルド フラワーエッセンスがその一助となったら、これほど嬉しいことはありません。

皆さまが自分らしい生き生きとした人生を満喫されることを、心からお祈りしております。

ジャナーク・ジャパン 代表取締役 柘植 幾

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